ここ数週間の間で感じたこと。
抜け毛がすごいのです。
髪の毛を洗うたびに毎回ごっそり抜けます。
季節の変わり目だから毛が生え変わって冬毛になるのだろうか?
動物のようだ。
などと考えながら、面白くてツイツイ洗いすぎてしまいます。(いいのか)
さて、その髪の毛、私の髪に関する悩み。
昔は、「量が多い」「硬い」「太い」さらに「うねるクセ毛」でした。
やけに丈夫なたくましい毛なので、寝グセなどがついてしまったら全濡らししないと取れないほどの頑固さ。
細くてしなやかでツヤツヤの髪に憧れたものでした。
しかし、最近は毛質に関する悩みはホボはくなりました。
理由は、「縮毛矯正の技術が発達したこと」「年齢とともに髪の毛のボリュームがなくなってきたこと」などです。
一番の理由は「悩みが悩みではなってきた」ことだと感じています。
「どうでもよくなってきた」と言うと、諦めのような印象になってしまいますが、それとはちょっと違っておりまして、悩みとうまく折り合いをつけられるようになったというところでしょうか。
髪の毛に関しても、私のように剛毛が嫌だと思う人もいれば、反対にボリュームがないのが悩みの人もいます。
深刻さの度合いもさまざま。なんとか解決したいとエネルギーを注ぐ場合もあれば、時折嫌だなと感じる程度の場合もあります。
片付けの悩みも人それぞれです。
同じ状態でも、気になる人もいればそうでない人もいます。
暮らし方も違うし、空間やモノに対する価値観も人によって全然違うからです。
さらに自分自身の中でも前は全然気にならなかったことが急に気になりだしたり、その逆だったり。
それらの悩みとどうやって向き合っていくのか?
悩みと付き合っていくと移り変わりが起こります。
髪の毛の質に関する悩みについては、新しい技術が開発されたり、毛の質が変化していったり、価値観が変わったり。
私の場合は全ての変化が起こり、髪の質に関する悩みはかなり減りました。
そして今、また新たなる気になりごとが起こっています。
抜けた髪が床に落ちているのは昔から嫌だったのですが、最近その傾向がますます強くなっています。
人は1日に50本~100本の髪が抜けると聞いたことがあります。
髪を洗う時が大部分だったとしても、一定数部屋の中に抜け落ちて横たわっているのです。これが気になって仕方がない。
特に台所など食べ物を扱う場所に落ちている髪の毛を見るとザワザワ感がマックスになります。
抜けた髪はどうしてこうも不潔と感じるのでしょうか。さっきまで自分の体の一部だったはずなのに。
いろいろなヘアースタイルでおしゃれを楽しんだり自己表現できる髪の毛。
一方で、さまざまな悩みをもたらす原因にもなるコヤツ。
考えているとたどり着くのは、「そもそもなぜ髪を生やしているのか?」だ。
動物の毛だと防寒や防衛などの役割があるだろう。しかし、現代の人間にとってその目的は薄い。
体毛はとっくに退化しているし、今では全身脱毛することもポピュラーになっている。なのに髪の毛はそうではない。
中にはスキンヘッドの人もいるが、全体の中では少数派。
生きている間に一度くらいスキンヘッドにしてみたい(=髪の毛を「片付けたい」)と思うこともあるのだが、未だに行動までは至っていない。
と、いうことで、今日もまた床に落ちた髪を見つけてはせっせと拾っているのでありました。