昨日のことですが、
横須賀市で自宅内の敷地からゴミの強制撤去という出来事を知りました。
ベランダや庭など、自宅の外に散乱しているゴミ1.7トンを回収したそうです。
自宅の中のゴミは対象外だったそうですが・・。
1.7トンのゴミ、ちょっとすぐには想像つかない凄まじい量ですね。
臭いや虫の問題で近隣の住人は大変な思いをされていたようです。
その家に住む当人は50代の男性のようですが、未分別のプラスチックや金属を持ち帰って仕分けるためゴミを集めていたそうです。
ゴミの中にも資源になるものがあって、それを換金できる仕組みがあることはあります。
私が住む札幌市でも、マテックという企業があり、空き缶やペットボトル、ダンボールや金属を回収しています。
そういったリサイクル品を持ち込むとポイントが付与され、一定量貯まるとQUOカードがもらえます。
ですから、ゴミには現金にできる価値があるということなりますが・・。
それを仕分けしきれないほど溜め込んでしまう心の在り方を考えてしまいます。
なぜ、そこまで悪化しているにも関わらず、仕分けをするわけでもなく、処分もしなかったのか。
持っていることが安心だったのでしょうか・・。
ゴミを持っていて安心。
そう聞いてもピンとこないかもしれません。
他人から見ればゴミであっても本人はゴミではなく、価値のあるモノなのでしょう。
決してそれは他人事ではなくて、「ゴミ」の認識の違いこそあれ、そういうことがあるのかもしれません。
例えば、押入れの中。「いつか使うかもしれない」とか「誰かにあげよう」などと思って捨てずに押し込めてあるモノたち。
使われていないモノは必要のないモノ、必要なければ捨てるモノ、捨てるモノはゴミ。
ということになりますが、持ち主がゴミだと思っていなければ、それは捨てるモノではないのですよね。
ゴミ屋敷の男性の「持ち帰って仕分けするため」というのが、誰かの「いつか使うかもしれない」にあてはまります。
でも、男性は仕分けしなかった。誰かの押入に詰め込まれたモノも使われなかった。
「仕分けしない」=「使う日はこない」 同じことです。
使っていないモノを溜め込むという点では、ゴミ屋敷と同じ危険をはらんでいます。
「押入れの中がプチゴミ屋敷状態」「クローゼットの中がゴミ屋敷予備軍」
そうならないためにも、いつまでも滞留させずに、モノを活かすことが大切だと思います。